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金澤料理人百選

金沢市在住のエッセイスト正岡順と月刊金澤編集長が綴る金沢の料理人の横顔をその料理と共に描くエッセイ。

東京生まれ。「素材の違いを知るには、やはりロース」と語る。コロモはサックサク、中身はやわらかくジューシーな仕上がり。店内は、特製のソースの香りがほのかに漂い、これがまた大いに食欲をそそる。

著者:若林裕司(2004年10月筆) 写真:岡村喜知郎

 職業別電話帳を開くと、金沢にはとんかつ屋の数がそれほど多くないことに気づく。いわゆるチェーン店を除けば、その数はさらにグッと減る。はっきりいって、少ないといっていい。
「金沢にはとんかつの文化というものがないんでしょうね」
 とは、金沢市高尾台のとんかつ専門店『庵とん』の店主、千葉亨さんの弁。
 なるほどな、と思う。
 千葉さんは東京生まれの東京育ちである。東京の下町を歩いていると、そこらじゅう――という表現が大げさじゃないくらい――にとんかつ屋の看板を目にすることになる。再び職業別電話帳によれば、他府県と比べて東京のとんかつ屋の多さは一目瞭然、群を抜いている。かの大都会においては、とんかつは堂々たる文化なのである。
「牛と豚の違いもあると思うんですよ」と千葉さんが付け加える。
 再度、なるほど、と膝を打つ。
 肉を食べるという行為ひとつをとってみても、関西では主に「牛」を、関東では「豚」を、という風潮がたしかに見受けられる。そして金沢はといえば……どちらかというと関西圏に近いようだ。能登和牛を筆頭に、牛を好む傾向が強い。
 
 さて、豚文化で育った千葉さんに牛文化が幅を利かせる金沢でとんかつ専門店を開業させた動因は、一言で表すなら「気概」である。東京の文化、あるいは東京の郷土料理とも呼べるとんかつの粋を、あえて金沢で極めようとする気概、気骨。
 二十年続けた東京の店をたたんだ後、奥さんの故郷・金沢に移り住み、現在の店を開いたのが八年前。東京では洋食全般を扱っていたとのことだが、そこにもの足りなさを覚え、金沢では心機一転、千葉さんにとって洋食の原点ともいえるとんかつ一品で勝負しようと決意する。以来、究極のとんかつを希求する手を休めることはなかった。そろそろ目指すべき極みが見えてきたのでは、と問いを向けると――
「まだまだです。これで充分ということはありません」
 と千葉さんは苦笑い。
「複雑な料理ではないだけに素材を見極めるたしかな眼を養い、また素材の持ち味を殺すことのないよう腕に磨きをかける。日々、気は抜けません」
 巷間、絶品のとんかつを食べさせる店としての評価がすでに定まり、新規の客足が途絶えることもない。にもかかわらず、店主からは油断、慢心といった気の緩みは微塵も感じられない。
とはいっても、豚文化の街から牛文化の街へと戦場を移し、いわば常にアウェー・ゲームを強いられてきたなかで培われた自信、自負は、口にする言葉一つひとつを――歯触りのいい、狐色のコロモみたいに――しっかりと包んでいたようにも思う。
 
* * *
 
 東京上野の界隈に「とんかつ御三家」と呼ばれる専門店がある。『本家ぽん太』『蓬莱屋』『双葉』。このうち『蓬莱屋』はかの日本映画の巨匠、小津安二郎が贔屓にしていた店でもある。
 小津映画ととんかつといえば、遺作となった『秋刀魚の味』の一場面が印象的だ。吉田輝男が佐田啓二と訪れたとんかつ屋で、なんと「もう一枚、いいですか?」ととんかつをお代わりするのである。ご飯や付け合わせのキャベツなら理解できる。しかしカツを追加、という話は聞いたことがない。
 このとき映画で使われたのは実際に『蓬莱屋』のとんかつだったそうで、それならお代わりにも納得、というとんかつ好きの声も聞こえてくるのだが、なるほど、そう考えると『庵とん』のだったらお代わりもいけるかな、などと思わないでもない。ただし、年に一度の健康診断を終えた翌日あたりに、昼を抜き、胃の調子が万全という条件つきだが――。

筆者プロフィール

若林裕司

月刊金澤編集長

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