【農援ラボ|米吉農園】能登のころ柿と幻の黄色スイカ、家族の団結が育んだ「美味しい」への誠実さ
2026年2月2日(月) | テーマ/

石川県金沢市と能登半島を結ぶ、のと里山海道。しばし並走した日本海と別れを告げ、景色が徐々に里山の様相を帯びていったところでインターチェンジを降りる。向かう先は志賀(しか)町にある米吉(よねきち)農園。上棚(うわだな)地区にあるご自宅へ伺うと、真新しい作業場の片隅に、先日つくり始めたばかりだという干し柿が吊るされていた。
「志賀町では干し柿のことを『ころ柿』と呼ぶんです。そうねえ、私が小さい頃からそうだったと思いますよ」。そう話すのは、御年73歳の現役農家・山田静江さんだ。

ころ柿は志賀町を代表する特産品で、その歴史は江戸時代までさかのぼるとされる。長らく自家用に農家が生産していたが、昭和時代に柿の植栽を町が促進してから本格的な生産が始まった。
ころ柿の原料となるのは最勝(さいしょう)柿と呼ばれる志賀町原産の干し柿専用種。志賀のころ柿は一般の干し柿と比べてとろりとした食感と、濃厚な甘さが特徴だ。
「乾燥の工程でよく手もみすることで、水分が抜けて柔らかいころ柿に仕上がるの」と静江さん。約30年前、ころ柿づくりの手伝いをしていた折に「あんたがもんだころ柿はすごく美味しい」と言われたことが、自身でころ柿をつくり始めるきっかけとなった。

米吉農園は現在、静江さんと三姉妹の長女である上坂千鶴さんを中心に家族で営まれている。家業としての歴史は長く、少なくとも静江さんが5〜6歳の頃にはすでに父親は就農していたらしい。父の名は米吉。「農家の屋号にこれ以上ふさわしい名前もない」と、20年ほど前に初代の名を拝借したそうだ。
「父は志賀町で畑の開墾をした初期のグループの一人で、この辺りで一番はじめに軽トラックを買ったとは聞きましたね」と静江さん。思うように作物が育たず仲間が脱落していくなか、米吉さんは地道に努力を重ねてこの地に営農の基盤をつくった。











